スタッフブログ

現場の様子や日々の様子など、スタッフの日常のことをお届けします。

桜の季節

投稿日 : 2019年04月05日 (金)
カテゴリー : 日々の記録

 

こんにちは。桜の綺麗な季節ですが、みなさまはそれぞれにお花見に出かけたりなさいましたか?今年は雨も降らずにいつもより桜が長く見れているように感じます。私は先日のお休みに大村公園や旧円融治寺庭園(護国神社)へ桜を見に行きました。

 

~ 国指定の名勝 ~

大村護国神社の長い階段を上ると、境内奥の斜面に立石を並べた庭園があります。旧円融寺の石庭です。境内全体が「旧円融寺庭園」として国の名勝に指定されています。円融寺は承応(じょうおう)元年(1652年)、大村藩4代藩主・大村純長(すみなが)によって建立されました。純長は3代藩主・純信の養子として、旗本の伊丹家から大村家に来ました。ところが、江戸幕府から正式な跡継ぎとしては許可が出ないうちに純信が亡くなったため、大村藩はお取りつびぶしの危機に直面します。しかし、3代目将軍・徳川家光の特別のはからいで大村家の相続が許され、その恩義に報いるため、歴代将軍の霊を祀る寺として建てられたのが円融寺だったのです。明治時代になり、幕府と藩がなくなったことからその役目を終え、戊辰(ぼしん)戦争以降の戦没者を祀る場所となり、大村護国神社という名前に変わりました。

大村護国神社の鳥居をくぐると、左手に三日月の形をした「月の池」、右手に円形をした「日の池」があります。正面の階段を上って途中で振り返ると、月の池、日の池の形がはっきり分かります。階段を上がりきると石庭が広がっています。この石庭は、円融寺が廃寺になったあと、長らくツツジの茂みの中に埋もれていましたが、昭和44年に大村出身の東京農業大学の学生がツツジの中に見え隠れする石組に興味を持ち、専門家に鑑定を依頼しました。曽その結果、境内奥の斜面を利用して、役400個もの石を用いて築かれた枯山水式の庭園です。とくに3つの立石を組み合わせた、三尊方式とよばれる立石が配置され、中央と東側には白い玉石を使って川と滝を表わした枯流、枯滝を見ることができます。その姿、規模とともに、たいへん優れた庭園です。石庭の前には、大村藩追遠碑と戊辰戦争で亡くなった人の碑があります。また、石庭の東側には大村藩謹王三十七士の石碑が並んで建っており、向かって一番右に松林飯山(はんざん)の碑が置かれ、亡くなった順に石碑が並んでいます。

旧円融寺庭園は武家屋敷街の北側の斜面にあり大村市街を一望できる景勝地です。とくに春は大きく枝を広げた満開の桜がすばらしく、市内の桜の名所の1つになっています。旧円融寺庭園の東隣には、春日神社があります。創建は寛永17年(1640)。大村家の祖先といわれる藤原家の氏神である、奈良の春日神社の分霊を祀る神社です。春日神社の前を通りすぎてしばらく行くと、旧楠本正隆屋敷があります。(大村市HPより)

 

 

ちょうど私が見に行った時間帯がお昼頃でしたので、小学生の団体たちも来てお弁当を食べながらお花見していてとても賑やでしたよ。近くのパン屋さんでパンを買って、桜を見ながらの外ご飯は格別に美味しかったです。その先には、猫がとっても気持ちさそうにお昼寝をしていたのですごく可愛らしくほのぼのとさせられ、春という季節を感じながらゆったりとした休日を過ごすことが出来ました。

このご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、この辺りは市外の人にはあまり知られていない隠れたスポットかなと思います。今もまだキレイな桜を見れると思うのでおすすめです♪

 

 

 

この頃の投稿